Profile of ファンタスティック北海道

「ファンタスティック北海道」プロフィール

担当者:小村 尚紀  Naoki Komura

株式会社メガ・コーポレーションは、札幌市の中心地を横断する北4条から南8条までのメインストリート、【札幌駅前通り】に面する街頭ビジョン5媒体に関わっている会社です。

QRcode.png札幌駅前は、北の玄関である札幌駅前に面した立地からここで北海道の素敵な情報をアピールできたらとの考え、ビジョンの番組として「ファンタスティック北海道」を放映開始したのが2003年。
2011年7月から「メガ・ビジョン4プラ」でも放映をすることにしました。
あのころは、まだ元気だった北海道を再び元気にしたい、元気になって欲しい、なんと言っても北海道の自然が「大好きだ!」という気持ちで制作しています。

ファンタスティック北海道Logo.jpg▲番組に使用しているロゴマークです

2003年
ファンタスティック北海道番組始まる札幌駅前にて大型ビジョンの開業を始める。それに伴い、番組として北海道の観光地をメインに紹介する番組を創設
2004年
本州の観光地をアピールファンタスティック北海道の本州版を創設。第一弾は、四国を紹介
2009年
観光番組「海外通信」を配信海外のダイビングスポットを紹介する番組。STW札幌支店様のスポンサードで実施。
2011年
当番組を4プラ局でも配信開始当年4月より4プラ局のビジョンが弊社専属媒体になり、7月より新体制の番組編成を実施し、4プラ局でも当番組を放映中

ひとり言

登別温泉 地獄谷

DSCN0107.JPG

1万年の歴史

地獄谷は、1万年前に笠山と呼ばれる山が爆発してできた爆裂火口跡である。また、数多くの噴気孔や湧出孔があり、ガスと高温の温泉が流れている。そして、この地獄谷に流れ込む水は噴気孔などからの熱によって約70℃に熱せられ、同様に温泉の一部となる。


登別温泉街PH_PRO.jpg写真:PHOTOGRAPH.PRO
幼少期に
登別は、子どものころ修学旅行で行った記憶がある。多分写真も残ってるのだろうが、そのころの地獄谷は、今と違って遊歩道だけでの見学ではなく、噴気孔真近まで行くことができた。岩盤がもりあがった「大正地獄」の山の上で友達と遊んだ記憶がなんとなく残っている。このころの地獄谷にでは、よく自殺者がでたらしい。煮えたぎる湯の池に投身自殺をする人がいたというのだから信じられん。そんなことがあっても昭和の大らかな時代だったのだろうか、立ち入り禁止箇所はほとんどなく、自己責任で安全を確保していたようだ。この頃の子ども達は、そもそも身の危険を感じるところには、近づいてはいけないと言う、本能みたいなものが身についていたので危険回避のすべは心得ていたものだ。そうは言っても野生の感みたいな不確かな感覚は、過保護までに「安全第一」と叫んでいる大人たちによってものの見事に今の子ども達には、備わっていない。確かに当時の子どもの動向を見ていいた親でもハラハラさせるやんちゃな行動はあったと思う。対外それが事故につながってケガをしても叱られるのは、ケガした本人で施設管理者を問い詰めるような親もいなかった。子どもは、痛い思いをし、叱られて育つものだと思うよ。
話は、ぜんぜん違う方に行っちゃったけど、地獄谷を遠巻きに見ていてそんなことを思い出していました。懐かしい…。


jigokudani01.jpg登別温泉地獄谷
大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。

江戸時代には、最上徳内が『蝦夷草紙』でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が道路を開削した。安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て、現在の道筋となる新たに道を整備した。その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになった。1911年(明治44年)頃には旅館数軒を中心に50戸ほどがまとまり、馬車が通じていた[1]。大正初めから昭和の初めまでは、登別温泉軌道という馬車鉄道〜路面電車も敷設されていた。

* 2001年(平成13年)10月に「登別地獄谷の湯けむり」として環境省によりかおり風景100選に選定された。
* 2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定され、2008年には開湯150年を迎えた。

引用元は、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2011年5月24日 (火) 01:12)によるものです。)


函館トラピスチヌ修道院

トラプスチヌス0568.JPG

創建年代 1898年

〒042-0914 北海道函館市上湯川町346
TEL 0138-57-3331


レリーフ0575.jpg高校生の時
ある本を読んでとっても気になったのが、「トラピスチヌス修道院」だった。小説なのかドキュメントだったか挙句の果てに本の題名も忘れてしまったけど、函館に住む一人の不良少女が自暴自棄な生活を過ごしながらも、自分の生き方に疑問を感じ、最後には人々の前から忽然と消えてしまうという内容だった。その時、この本の作者は、下界の人の目に触れぬトラピスチヌスの中に彼女が居るのではないかと、締めくくっていた…と思う。
そのことから、僕にとっては、この修道院は、開かずの館と、勝手に位置づけるようになっていた。実際に、ここに行ってみると、そんなに謎めいたところでもなく、普通に観光客も見学に来ている場所なのだけれど、その時の想いが、まだ心のどこかにあって、あの本の内容が現実であり、この建物の中に彼女が生活しているのだ…などと想像してしまったりする。
とは言え、見学できるのは、庭園部分だけであって、本院は、やはり入ることはできない神聖な場所には違いない。
…だけど、なんて本だったかなぁ~。すげ~気になってきた。


注意書き0601.jpg函館トラピスチヌ修道院
トラピスチヌ修道院(トラピスチヌしゅうどういん)は、北海道函館市郊外にあるトラピスト会(厳律シトー会)系の女子修道院。日本最初の観想女子修道院である。お土産物として売られている、マダレナ(ケーキ)やクッキーが有名。

修道規律の改革が起きたとき、フランスのノルマンディー地方にある「トラップ修道院」の厳しい規律に従うシトー修道会のグループを厳律シトー修道会、修道院の場所の名を取ってトラピスト(女子はトラピスチヌ)と呼ばれるようになった。

トラピスチヌ修道院は1898年(明治31年)にフランスから派遣された8名の修道女によって創立された。その後1925年(大正14年)に失火で本館を焼失したが、翌年から再建に着手して1927年(昭和2年)に落成した。

引用元は、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(最終更新 2009年9月2日 (水) 06:21)によるものです。)